お問い合わせ

TOP  >  国際宗教研究所賞 >  第二十回(公財)国際宗教研究所賞・奨励賞

第二十回(公財)国際宗教研究所賞・奨励賞

【奨励賞】
〈授賞業績〉
谷憲一『服従と反抗のアーシューラー:現代イランの宗教儀礼をめぐる民族誌』(法政大学出版局、2023年4月)

〈授賞理由〉
 日本人にとってイスラームはまだまだ遠い宗教である。しかもシーア派となると、一層に遠い。さらにシーア派のアーシューラーと聞けば、自らを傷つけて血塗れになった男たちの映像を思い出して言葉を失うというのが、日本人の一般的な反応であるかもしれない。そのアーシューラーに両義性を見出し、それを手掛かりに現代イランの実情へと本書は迫っていく。そしてシーア派の世界に読者の目を向けさせるのである。
 アーシューラーとは、カルバラーの地で殉教したシーア派第三代イマーム・ホセインの無念に思いを馳せる儀礼をいう。この儀礼により、"生命をかけて正義を貫いた"ホセインを範とする「カルバラー・パラダイム」がイランの人々に内面化される。儀礼はここにおいて、道具主義的に捉えられているだろう。統治者が儀礼を利用して国民をつくり出すのである。
 しかし本書は、アーシューラーが道具主義的観点のみからでは捉えきれないことを主張する。そしてタラル・アサドの提唱する言説的伝統という概念・観点を導入して、アーシューラーの民族誌を紡いでいく。
この第二の観点から本書は、儀礼の現場で音楽やダンスが国家の規制をかいくぐって実践されていることを描き、そこに生じる共同性が統制的な国家との間に緊張を孕む可能性を指摘する。またイラクにあるカルバラーへと向かうイランからの巡礼者とイラク国内のシーア派の人々との間にネットワークが形成され、それがイランという国民国家を揺さぶる可能性も示唆する。そして、実践者たちの間に共同性を生じさせる自傷行為が、実は禁止されており、その禁止の理由を国家が宗教的言説だけでは尽くしえず、近代医学的言説にも依拠して説明しているという現実を強調する。
本書は議論を進めるなか、"宗教的に厳しく管理された国家・イラン"というイメージを崩していく。アーシューラーが国民統制のための道具、換言すれば「戦略」であると同時に、国民が(服従の陰で)統制に反抗する「戦術」を実践する場であることも主張するのであった。著者は長年にわたるイランでの研究生活に基づき、場面場面をリアルに描いてアーシューラーの現実を明らかにして読者を驚かす。
 ただ、著者の今後の発展を期待して、以下も記しておかねばならない。第一に、取り上げられた事例がイスラーム文化全体でどのように位置づけられるかについて記述が乏しいため、イスラーム研究における本書の位置が把握しづらいということである。さらに、筆者の知人や旅先での出来事が事例の中心になっているという印象を拭えなかったことも付記しておきたい。序章や終章で重厚に論じられた人類学理論との間に落差が感じられたのである。
 とはいえ現代世界の宗教動向を考えるにあたりイスラームの、さらにシーア派への目配りは欠かせない。アーシューラーを取り上げた本書は、国際宗教研究所の設立趣旨にかなう貴重な研究である。儀礼の現場を彷彿させる筆致で読者を引き込む本作に、国際宗教研究所賞奨励賞を授与するものである。

2025年2月15日 (公財)国際宗教研究所賞選考委員会



【奨励賞】
〈授賞業績〉
玉置文弥「近現代日中におけるアジア主義・超国家主義と「民衆宗教」―大本教と道院・世界紅卍字会の連合運動―」(東京工業大学博士学位論文、2024年3月26日受理)

〈授賞理由〉
 天理教や大本教(大本)を「新宗教」として捉える枠組みが定着してきたが、「民衆宗教」として捉える枠組みも歴史学や思想史研究ではかつて有力であり、とくに政治思想の文脈で考察の対象となる場合には今も意義をもち続けている。大本は1923年の関東大震災から1935年の第二次大本事件に至る時期、中国の民衆宗教運動である紅卍字会(道院・世界紅卍字会)と連携をもとうとした。両者による「連合運動」とよべるような運動が続いた時期があった。
 大本研究や日本の民衆宗教研究において、これについては、従来、『大本七十年史』(1964、67年)にそった叙述を大きく出ることがなかった。この論文では、近年の日中両国での紅卍字会研究の展開を踏まえ、さらに新たな資料を掘り起こし、連合運動の全体像を描き出すという点で大きな成果を収めている。これは一国史的な観点を越えて東アジアの近現代史という視野のなかで民衆宗教を捉えるという点で新たな地平を切り開くものである。とりわけ中国と日本での紅卍字会の展開を視野に収めてこの時期の宗教政治史を捉えたことの意義は大きい。
 これはまた満洲国建国をめぐる日中両国の動向を踏まえて、日本の右翼運動や心霊思想運動の動きを捉え返すという点でも新たな視座を切り開いている。出口王仁三郎はもとより、黒龍会や璽宇や心霊科学研究会といった思想・宗教運動の展開についても多くの新知見が示されている。さらに、国内の思想史的文脈において、この大本連合運動をアジア主義や超国家主義をめぐる従来の研究に照らし、思想潮流の意義を捉え返すという試みもなされており、これはアジア主義や超国家主義の研究に新たな地平を加えることにもなっている。
 大本は1935年の第二次大本事件で大弾圧を受けるが、それは昭和神聖会という一大政治運動を形作ったことが関わっている。この昭和神聖会は、紅卍字会との連合運動や右翼のアジア主義・超国家主義との関係を見ることでその政治史的意義が一段と明確になってくる。この点でも、『大本七十年史』がベースとなっていた従来の研究水準を大きく超えるものとなっている。
 内容充実の余地がある点として、日本の宗教思想史の文脈での考察が十分とは言えない点がある。とくに「皇道」の概念は、大正期以来、大本がその展開に大いに貢献したものであり、これを単に伝統的な思想資源と捉えるのではもの足りない。これは連合運動以前の大本の歴史を振り返る視点が乏しいこととも関わっている。
 以上、本論文は近現代の宗教史、宗教運動史研究の幅を大きく広げるものであり、国際宗教研究所賞奨励賞を授与するに値するものである。

2025年2月15日 (公財)国際宗教研究所賞選考委員会

ページトップへ戻る